冬の足音が近くなったり、遠くなったり、
寒暖の差が激しい季節になりましたが、
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
家族葬専門ホールまごころの原でございます。
前回より、1ヶ月弱空いてしまいましたが、
連載コラムの第8弾を掲載致します。
第6回 -「彼岸」から「此岸」を見る-
仏教では、私たちが住んでいる
『此岸』は凡夫の世界
『彼岸』は仏の世界
と説れます。
お釈迦様から見えた『此岸』は
煩悩にあふれた世界だといいます。
人は『此岸』では真の幸せになれないから
『彼岸』へ渡れと説ました。
『彼岸』は煩悩の炎がすっかり消えた、
涅槃(ねはん)の世界です。
『此岸』からこの大きな川を渡り
『彼岸』へ行くための方法を説ました。
旧来の仏教である「小乗仏教」の教えでは、
ごくわずかな人々しか、
『彼岸』に渡ることができませんでした。
しかしながら、これはお釈迦様の望んだ教えではないとして、
すべての人が渡れるように、その方法を説いた
「大乗仏教」が誕生しました。
その違いは、幸せの方程式です。
欲望には2種類があると言われています。
一つは、
単純な欲望(カーマ)
もう一つは、
渇愛(トリシュナー)
です。
私たちが煩悩と呼んでいるのは
実は渇愛のことでございます。
この渇愛は喉がカラカラに渇いた状態という
意味であります。
例えば、船が難破し、海を漂っている時に、
喉が渇いて仕方がなかったとします。
当然思うことは、
「水が飲みたい」
となることでしょう。
海にはたくさんの水があります。
そこで海水を飲むことになるのですが、
海水を飲んでも喉の渇きは
癒されません。
しかも、飲めば飲むほど
ますます乾きが酷くなる。
これが渇愛(トリシュナー)です。
満たしても、次々と
欲望が膨らんでくる状態のことであります。
満たされない欲望の海を
いつまでも漂い続けるのです。
幸せになれない原因が
渇愛という欲望だということになりますが、
この渇愛をどのようにコントロールすれば良いのか。
これが幸せになるためのポイントです。
幸せの方程式とは
決して難しいものではないと言われています。
次回のコラムでは、その
「幸せの方程式」について
掲載をさせていただく予定です。
どうぞ、お楽しみに。