関東甲信が梅雨明け致しました。
いよいよ夏到来です。

皆様くれぐれもお身体ご自愛ください。

さて、家族葬専門ホールまごころの原がお送りいたします、
コラムの第4弾をお送りいたします。

第4回 -「盆踊り」-
5ab72620ad9ca1d47801c0222dcbaa58_s

元来、盆踊りとは死者の霊を迎えて慰めるための踊りで、
お盆の行事で最も広く親しまれているものといえるでしょう。

徳島の「阿波(あわ)踊り」

秋田の「西馬音内(にしもない)盆踊り」

岐阜の「郡上(ぐじょう)おどり」など、

全国的に知られる祭りから、
町内会の夏祭りまで、
多種多様でございます。

ところで、この「盆踊り」

その起源は平安時代中期に
庶民に浄土教(じょうどきょう)を広めた
空也上人(くうやしょうにん)がはじめた
踊念仏(おどりねんぶつ)-踊躍(ゆやく)念仏ともいう-に
さかのぼると言われております。

鎌倉時代に一遍上人(いっぺんしょうにん)の
念仏踊りにひきつがれ、時宗(じしゅう)とともに
全国に広まったとされております。

室町時代に入ると、鉦(かね)や太鼓をたたきながら、
念仏を唱えて踊るようになり、
時代とともに様々な趣向が取り入れられて
風流な色彩を強めていきました。

江戸時代には、民謡なども加わって、
娯楽的な行事として根を下ろしていきます。

さて、一遍上人は文永11年(1274年)、
高野山をめぐりながら、

「南無阿弥陀仏」と記した念仏札を配っていった。

これを「賊算(ふさん)」という。

太宰府や信濃の善光寺、伊予の岩屋寺などで
修行に明け暮れ、その過程で、
『「阿弥陀仏」の悟りと
衆生(しゅじょう)が称える念仏は
一体のもである』という
「十一不ニ(じゅういちふに)」の境地に達した。

今から700年も前、
弘安2年(1279年)に時宗の開祖
一遍上人が善光寺へ参詣した帰途、
信濃国佐久郡伴野荘(佐久市伴野)の
「市庭(いちば)の在家(ざいけ)」(市場)で
歳末念仏、近くの小田切の里(佐久市下小田切か)の武士の館では
一遍が音頭をとり、弟子たちと在俗者が念仏を唱えて
はだしで跳ね踊った。

これが踊り念仏の最初といわれております。

自然発生的なものだったらしい踊り念仏を
一遍上人は以後布教に取り入れました。

現在、佐久市十二町金台寺(こんだいじ)
(時宗の末寺、重要文化財絵巻物)

跡部浄土宗西方寺(さいほうじ)で踊り念仏を公開しております。

踊り念仏発祥の地(*諸説あります)

佐久の宝珠が全国の諸霊の供養になればと切に願います。