梅雨に入り、長雨が続いていますね。
去年は梅雨入りしたと思ったら、
すぐに明け、夏がやってまいりました。
梅雨らしいといえば梅雨らしい、今年ですね。
7月とは思えない気温が続いております。
気圧の変化も大きいようですので、
くれぐれもお体ご自愛下さい。
さて、家族葬専門ホールまごころ
スタッフの原がお送りいたします、
コラムの27弾をお送りいたします。
「第27回 いんねん 」
“因縁(いんねん)”とは、
因(いん)と縁(えん)とを併(あわ)せ称(とな)える言葉で、
因は原因を指すものであり、縁は因を果(か)に成長させるものです。
すなわち、果を生ずべき直接のもとを因と言い、
因と協同して因(いん)を果(か)すまで成長させるものを縁(ねん)と言います。
これを“因果応報(いんがおうほう)”と言います。
譬(たと)えば、種子は因(いん)で雨露(うろ)、
肥料、土などを縁(ねん)として、
芽(め)をふき、稔(みの)りが現れます。
種という因があっても、
雨露、土などの助力がなければ芽をふくことはできない。
仏教では、宇宙人事一切(いっさい)の現象は
すべて因(いん)と縁(えん)とが会合して、
でき上ったものとされ、一切の万物(ばんぶつ)は、
それを成り立たせてゆくためにあらゆる条件(じょうけん)の
相関関係を離(はな)れてはいない―――とし、
因縁(いんねん)を相関関係の義(ぎ)とも言っています。
これを宇宙論や、人生論の原点とし「因果説」とよばれています。
“因果”については、一切の諸法は原因より結果を生じ、
それがまた因縁となって新しい果(か)を生み出し、
それがめぐり巡(めぐ)って、消滅流転(しょうめつるてん)していきます。
因があれば、必ずこれに応(おう)じて果というものが現れてきます。
これが因縁の道理とか因果の法則(ほうそく)と経典に記されています。
古歌にも、
―――火の車つくる大工(だいく)はなけれども
己(おの)がつくりて己が乗りゆく―――
と歌われるように、善因(ぜんいん)(善(よ)きこと)は
善果(ぜんか)(善き結果)を生じ、悪因は悪果を生ずる。
これが因果応報であります。
俗談に
「鐘が鳴るのか撞木(しゅもく)が鳴るか、ぽんと叩いた縁で鳴る」
と俗に言われています。
皆様はどう思惟(しゆい)されましたでしょうか。